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    『ハンドレッドライン』作曲家・高田雅史氏インタビュー。“不穏邪悪シンセサウンド”はどこからくるのか、高田氏のコアを訊く

※こちらはAUTOMATON様によるインタビュー記事を転載させていただいたものとなります

アニプレックスは1月16日、「HUNDRED LINE -最終防衛学園- Original Soundtrack」を発表した。同サントラは、ダウンロード版・ストリーミング版は1月17日より配信中。112曲にわたる、『HUNDRED LINE -最終防衛学園-』におけるゲームサウンドが楽しめる。また、ブックレット付き・CD4枚組の「HUNDRED LINE -最終防衛学園- Original Soundtrack Director’s Edition」が4月24日に税込5500円で発売予定である。

『HUNDRED LINE -最終防衛学園-』は、“極限”と“絶望”をコンセプトとするADV+SRPGだ。パブリッシャーはアニプレックスで、トゥーキョーゲームスとメディア・ビジョンが開発を担当する。普通の高校生・澄野拓海をはじめとする15人の学生たちは、消えない炎に包まれた最終防衛学園へ集められる。特別防衛隊として、正体不明の敵「侵校生(しんこうせい)」から学園を100日間守り抜く、絶望に染められた学園生活が繰り広げられる。

本作の音楽を主に手がけるのは、高田雅史氏。『シルバー事件』や『ダンガンロンパ』シリーズ、『地球防衛軍』シリーズや『デジモンストーリー』シリーズ、『大乱闘スマッシュブラザーズ』シリーズ、『夢王国と眠れる100人の王子様』など多岐にわたる作品に楽曲を提供しているベテラン作曲家である。シンセサイザーが特徴的なコンポーザーだ。高田氏は本作『HUNDRED LINE -最終防衛学園-』では、トゥーキョーゲームスの高田雅史として多くの楽曲を制作。「絶望」の世界観に“不穏な”花を添えた。

そんな同作のサウンドトラックが配信されたということで、このたび、弊誌はそんな高田雅史氏にインタビューをおこなった。本稿では、高田氏と音楽の出会いやこれまでのキャリア、そしてどうやって高田氏ならではの“不穏”な楽曲を作り上げているのかについてお届けする。

『HUNDRED LINE -最終防衛学園- Original Soundtrack』試聴動画

幼少期のエレクトーン経験が後の音楽人生のきっかけに



――自己紹介をお願いします。

高田雅史(以下、高田)氏:
トゥーキョーゲームスの高田雅史です。『HUNDRED LINE -最終防衛学園-』(以下、ハンドラ)のサウンドを担当しております。



――高田さんはゲームサウンドクリエイターとして数々のキャリアを重ねられていますが、音楽を志したきっかけはなんだったんでしょうか。

高田氏:
僕は愛知県犬山市という田舎の方で生まれまして、昔から音楽が好きだったとか、そういうことは特になかった子供でした。ただ、当時訪問販売でエレクトーンを売っていたような時代で、それがうちにも来たことがあったんですね。エレクトーンを始めたのがきっかけで、物心ついた頃には音楽は聞くものではなくて奏でるものというイメージが強くて、幼稚園の頃から譜面を見て、毎日嫌々ながらも練習してきましたね。高校では結局吹奏楽部に入ってチューバを吹きつつ、先生からの正式な依頼でギャラをもらって体育祭のファンファーレを作ったり、合唱コンクールのアレンジなどをしてました。

――もうその頃から音楽の仕事をしていたと言っても過言ではなさそうですね。

高田氏:
当時はイエロー・マジック・オーケストラが流行っていまして、その流れでエレクトーンに近しいところがあるシンセサイザーが好きになったことがすべての始まりだったのかもしれませんね。

ただ、エレクトーンをやっていたときは周りにすごい子たちがいっぱいいて、自分は才能がないなと思っていたんです。でも、シンセサイザーをいじりたくて。中学からは 音大を目指して勉強はしたんですが……。和声楽とか入るための勉強を一通りやったんですが、それがあまり面白くなくて。



――(笑)

高田氏:
音楽を学び始めると、禁止事項ばかり知ることになって。今まで当たり前のように作っていた気持ち良いコード進行が実は禁止事項だったり古典的な和声学では並行五 度とかも禁則と されていたりしていて 、葛藤しました。東京の音大なども受験しましたが入れず 、東京コンセルヴァトアール尚美という 音楽専門学校に通い始めました。

――音楽を勉強することの面白くないところを理解しつつも、専門学校に入学されたんですね。その後は普通に音楽の勉強をされたんですか。

高田氏:
電子音楽コースのようなものがあって、これが一番面白そうだと思ってそちらに進みました。結局、最終的には音大を卒業した人も入ってくるディプロマというコースまで進んで、トータル6年間はその学校に通っていました。後半はその学校で教える方とかのアルバイトをしつつ、通信カラオケの曲を作る仕事もしていました。

――ゲーム業界への就職はどのようにされたのでしょうか。

高田氏:
研究科にいたときにゲーム音楽が面白そうだったので、当時の大手ゲーム会社で募集していたサウンドクリエイター職の就職活動を して、感触が良かったん ですよ。これはまだ勉強できるなと思い、院にも2年行ったところでバブルが崩壊して、いざ本気で就職しようと思ったときに困ることになりました……。

ゲーム業界への就職、そしてさまざまな出会いを経て……


――2年後にバブルが崩壊するなんて、一介の学生には考えにくいですよね。

高田氏:
ええ。でも、そこでアトリエドゥーブルという会社に何とか入社できまして、そこに後に『BEMANI』シリーズなどを作ることになるTogo chefこと藤後浩之さんがいて、ゲーム業界での初めての上司として、ゲーム音楽とは、というノウハウをいろいろ教えていただきました。他、L.E.D.こと角田君も同僚でしたね。で、そのときのクライアントがヒューマンだったんですね。

――ここでヒューマンが。つながってきましたね。

高田氏:
そうなんです。そのヒューマンでプロデューサーを務めていたのが寺澤善徳さん、後の『ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生』のプロデューサーとの出会いですね。ここでやっと、今のトゥーキョーゲームスに繋がってきます(笑)

――そこが最初の縁だったんですね。

高田氏:
ええ。アトリエドゥーブルは下請けだったので、寺澤さん に「ヒューマンのサウンドチームってどんな感じですかね 」と興味津々な 話をしていたら、ぜひ来てくれと言ってくださいまして。ヘッドハンティングではないですけど、そういう経緯でヒューマンに入社することになり、そこで須田剛一さんや河野一二三さんとも出会うことになりました。あの当時のヒューマン二大巨頭みたいな方々ですね・・・

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